しかいのそとにあそびつつ

Musicページにゼルダの伝説 ふしぎの木の実より「ターム遺跡」を追加しました。
シンプルなGB音源の曲ですが、この間YouTubeでいいアレンジを聴いて紹介したかったのでその話をするための枕として耳コピしました(謎の回りくどさ)。見つけたそのアレンジというのがこちら↓

環境音も入っているのがとてもいい雰囲気です。私はわりと原曲至上主義なところがありファンメイドのアレンジはあまり進んで聴くことがないのですが、これはトワイライトプリンセスの古の森を意識した音選びがすごく馴染んでいて好きだ〜と思いました。

いま各シリーズタイトルでオープンワールド化が大流行りながらこういうフィールド/ダンジョンBGMを聴いて思うのは、やっぱり自分はゼルダに関しては従来の、順番に物語を追うシステムの方が好きだなということでした。ブレスオブザワイルドも160時間もプレイして満喫していたはずなのですが、なぜかゲーム中でどういうことをしたかあまり覚えていないんですよね…。とにかく何か野山を走り回ったなあという移動の記憶があるばかり。これは私がキャラクター同士の人間ドラマに対する関心が極端に薄いタイプであることも関係していると思うけど、やっぱりダンジョンらしいダンジョンが少なく、BGMがどれも環境音楽風だったことも影響しているのではないかと思うのです。

ゲーム世界が3Dで表現されるようになった時のオカリナ以降では、ダンジョンひとつひとつの構造や謎解き仕掛け、意匠やBGMにそれぞれの世界感があり物語がありました。お気に入りのダンジョンに行きたくて観光するかのごとく何度も周回していたのを思い出します。自分が特に好きだったのは森の神殿、水の神殿、魂の神殿、ロックビルの神殿、大地の神殿、風の神殿、湖底の神殿、砂漠の処刑場、時の神殿、ラネール錬石場、古の大石窟あたりです。だいたいどれもBGMもセットで好きな場所ばかりでした。

ALLEGORIES IN ARCHITECTURE: THE ANCIENT CISTERN
https://www.zeldadungeon.net/allegories-in-architecture-the-ancient-cistern/
(Zelda Dungeon)

↑スカイウォードソードのダンジョンのひとつ「古の大石窟」が仏教世界と『蜘蛛の糸』(芥川龍之介)の寓意を含んだ体験施設になっているということを解説している考察記事。おもしろいので英語だけど特にプレイした人は思い出しながら読んでみてほしい…

このダンジョン、好きなんだけど作中世界からもわりと浮いている印象で「こんな実在宗教を強くイメージさせるものをゼルダでやってもいいのかな!?」と他人事ながらちょっとドキドキした覚えがあります。宗教がらみだとまだローカライズ意識も薄かったであろう時のオカリナでは炎の神殿のBGMにコーランの詠唱が使われていたために差し替えられたり(変更前のが雰囲気あって好きだけど)、三日月と星のマークを使っていたためにミラーシールドのデザインが変更されたりしていたけど、イスラム教じゃなければ大丈夫なのか…?

ついでにこのダンジョンのBGMもいいので貼らせていただいておこう…ぜひ読みながらどうぞ↓

自分にとってはゼルダの思い出はダンジョンの記憶に等しい。ゼルダシリーズで次に控えているのはブレスオブザワイルドの続編だけど、どうか従来のようなゲームデザインの新タイトルも開発してほしいな〜と願っています。

話は変わって

気づけば結構な数になっていた日記絵、Galleryページにまとめてはいるもののもっとシームレスに見たい気もしたので、自分用アルバムとして96ページの本にしてみました。やっぱり紙の本はいいものですね。これが私のネリメモリーだ…

カキメモリーのマトメモリー

ってこのフレーズこれまでにもう4遍ぐらい言っている気がする。何度もすみません、私はネリメモリーという単語の語感が妙にウケてしまって好きで…(なんで?)
4年前弟にオクトエキスパンションの布教を受けたとき、これを集めるのだとネリメモリーズ一覧画面を見せられて「ネリメモリー!?」とそこでもう笑った記憶があります。本当に何?小学生の頃にねり消しやダイカット消しゴムを集めまくった自身のノスタルジーを刺激されたのだろうか?
ギア名とかにも言えることだけどSplatoonはネーミングセンスが独特でイイですね…絶妙なダサさというかアホらしさというか。もしこれが例えば「フラグメント」みたいな無難で無味無臭な名称だったら自分には刺さっていなかった。英語版の名称”Mem cake”もmemoryとかmemorialやmementoを含みつつカマボコ状の食品fish cakeも連想させていてうまいなと思います。

記憶とか人格とか

記憶や思い出は元からの性質以上に個人を構成する大事な要素だと考えている一方で、私は昔から記憶喪失というものに大変な憧れを持っているところがあります。アナザーコード、ポケモン不思議のダンジョン、ヘラクレスの栄光、ファイアーエムブレム覚醒、オクトエキスパンション、シックスセンス、遊戯王…自分が好きな話やゲームの内で、主人公が記憶喪失の状態から始まるものや部分的に欠けている記憶を取り戻そうとするもののなんと多いことか。
記憶喪失主人公のゲームはSFCソフト「ヘラクレスの栄光Ⅲ 神々の沈黙」が最初だそうですが、そういう設定にすることでプレイヤーがより主人公に感情移入できるし、キャラクターが主人公に対して違和感なく作中世界について説明することができるという点でもうまい工夫ですよね。
そしてそういうメタな部分を除いてもロマンを感じてしまう…自身も記憶喪失になってみたさがあります(厨二病)。今までの経験を忘れた状態の自分は全く違う性格と言動を持つようになるんじゃないか、実際の自分よりもずっと素直で明るく行動的なやつになっているんじゃないだろうか…(ブレスオブザワイルドのリンクがまさにそんな感じでしたね)。「強くてニューゲーム」願望の派生と見ることもできる。友人にこういう話をしたら共感してもらえて厨二話で盛り上がった覚えがあります。

でもそんなことを自発的に考えているってのは、どれだけ自分で自分の行動に制限かけているのかってことの表れでもあるような気がします。「自分はこういうキャラだ」と思い込んで無意識に役を演じているのかもしれない。知り合いレベルの人には「天然めの不思議ちゃん」と言われて心外に思い、同僚レベルの人には「しっかりして自信に満ちている人」と言われて真逆さに驚き、家族には「うっかり者の極楽とんぼ」と思われているのだろうし、関係性によって全く違う・相反する感想が出てくるのでもう自分で思っているキャラというのは幻影にすぎないんだろう。そんなものにとらわれて本心ややりたいことを封印するのはよくないよな…と最近またよく思うのでした。
日記絵ではpixivに投稿している妄想暴走二次創作漫画のレギュラー3名に、ネタに応じてそれぞれ合いそうな役を演じてもらっています。どのキャラも自身をモデルにしたつもりはなかったのですが、全く共感できないものを描くことはできない質だし自分の中から出てきた以上、彼らも自分の一部と言えるのかもしれません…ね……

自分はいったい何してんだろう…なんて恥晒しなことを…

だめだ…今はまだ正気に戻るな!

また始まった葛藤芸はさておき

蛸枕草子・壱(pixiv)

12月から放置してしまっていたpixivにもそちら用に編集した日記絵のまとめを投稿しておきました。本が届いた時点でまとめようと思っていたら、図らずも友人の便りを受け取ってからようやく会えるまでの記録のようになり、いとあはれに思へばかかる題をつけけり。おまけになんか数字までつけちゃったけどまだ続けてまとめていくつもりなのだろうか。 とりあえずこれで少しは間が持つかと思うので、しばらくは漫画の方を優先して進めようと思っています。
内容的には4月に想定最終話を投稿できたら自分の中では超格好よかったのですが無理だった!もう季節連動なんて夢は捨てて、なるべく後から見返しても恥ずかしくないような納得いくものを作りたいと思います…せめて3の発売までには仕上げておきたい…。

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